ほんのひとさじ

ゆるゆる過ごす日々と投資の記録

【雑記】変わらず切れ味鋭いアルテイシアさん

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私はほぼリアルタイムで『アルテイシア日記』を読みました。後に本にもなりました。

そんな文筆家のアルテイシアさん、今も本を出版されたりコラムを数多く書いていらっしゃいます。

彼女の主張とその表現が個人的にとても好きなのですが、アルテイシア節は現在も健在でした。

 

いくつか読んだコラムのうち、もっとも首がもげそうなほど縦に振ったのがこちらの記事です。

gendai.ismedia.jp

長いですし、できれば全文読んでいただくのがよいのですが、「これだよこれ!」と思った箇所を引用します。

リアリストな女子とゆるふわな男子

婚活男女と話していると、結婚に対する意識の差を強く感じる。一言でいうと、女子はリアリストで男子はゆるふわなのだ。

たとえば「どんな結婚生活を望むか?」と質問すると、女子は「共稼ぎで家事の分担を希望します。今の日本で子育てするのはハードすぎるので迷ってるけど、もし子どもを持つとしたら、当事者意識を持って家事育児するパートナーじゃないと無理ですね」といった言葉が返ってくる。

一方の男子は「うーん、笑顔の絶えない家庭ですかね? 子どもがいると楽しそうかも、僕もなるべく育児に協力しますし」とか返ってきて、ゆるふわ具合にめまいがする。

婚活女子がこの言葉を聞いたら「ハッ? 協力? 家事育児は妻がメインで夫はサブってこと?」「この人と働きながら子育てするとか無理ゲーじゃね?」と思うだろう。

男に厳しすぎないか、そのゆるふわ感もチャーミングではないか、とおっしゃる男性もいるだろう。だが女がリアリストにならざるを得ないのは、それだけハードな現実を生きているからだ。

「女は子どもを産むから」と進学や就職で差別され、産休育休を取ってもベビーカーで電車に乗っても迷惑がられる社会で「じゃあ子どもを産まない」と女が選択すると「けしからん、ワガママだ」と責められる。

いざ決死の思いで出産すると、保育所に入れるのもむっさハード、保育所に入れても働きながら子育てするのはげっさハード、ワンオペ育児で死にそうDEATH!! みたいな地獄を「明日は我が身」と女は当事者として見ている。

そこで「子どもがいると楽しそう、息子とキャッチボールとかしたいな~」とか言われると「キャッチボールで子どもが育つか!」とバットで頭部をフルスイングしたくなるのだ。

この部分、「男は」「女は」と大きなくくりで話すのもあまりよくないのですが…私はあるあるだと思いました。

ゆるふわが全て悪いとは言いませんが、そうしてよい場面とそうではない場面はよくよく使い分けが必要だと考えます。