「天気の子」読んだ&観た感想【ネタバレあり】
前作「君の名は。」から3年。「天気の子」を観てきました。
鑑賞後、息子にねだられてピアノ楽譜を買いました。ぷりんと楽譜、便利です。
※以降物語に触れます(ネタバレします)ので、未見&未読の方は読まないことを強くおすすめします。
いわゆる囚われの女の子を男の子が救いに行く(ヒーローがヒロインを助けに行く)物語です。
…物語の素材は古今東西変わりませんね。
戦う相手は、親(作中には主人公の親はほとんど登場しませんが)や親代わりとなってくれた大人や警察などの権力者で、それにいささかも怯むことのないヒーローは子どもの目には憧れと映るでしょう。空や雲の上を飛ぶ冒険でもあります。
当初は、いつ観に行けるかわからないと思っていたので、小説を先に買って読みました。読み始めたら一気読みでした。結末を知ってしまっていたこともあり、映画はしばらく上映しているだろうし後日でもいいかと思っていましたが、上映回数豊富で自分の都合にあわせて観に行けるうちに観てきました。
前作と同じく、音楽と映像の一体感は、耳から頭に、目から頭に、そして心に、ときに突き刺さるくらいまっすぐに身体の中に入ってくる感じでした。今回は「天気の子」向けに書かれた曲のほかにもBGMとしていくつかのピアノ曲があり、それらも違和感なく物語に溶け込んでいました。
東京都心の風景、ビル群などの写実感。
水の跳ね方、雨雲、雨の降り方、土砂降りを表現する大量の水のかたまりが落ちてくるなど、テーマのひとつでもある多彩な雨の表現。
ビル屋上からの花火見物を印象づける上空から地上を見下ろす俯瞰図(バードビュー)の動き。
いずれもアニメ映画とは思えない、圧倒的な精密さでありながら、アニメ映画でしかなしえない表現もあり、絵だけでも楽しめるくらいでした。
ただ、今回は東京の風景が多く田舎の風景はほとんど出てきません。
「君の名は。」では、目まぐるしく場面が切り替えられていたけれど、「天気の子」ではあえておさえた感じ。
今回は、神社の祭りや神事はほとんどなく、初盆や迎え火が描かれていました。(東京下町なら7月お盆の可能性もあるが、陽菜の誕生日の8月に合わせたのかも)
「君の名は。」の登場人物がときおり出演するのも楽しいです。(瀧のほか、三葉、四葉、テッシー&さやちんも)
龍神の天井画がある神社のおじいちゃん宮司の言葉「観測史上と言ってもたかだか100年のこと、歴史はもっと連綿と続いている」が、個人的にはメッセージ性のある言葉だと思いました。
ひとの言葉を鵜呑みにしない。別の角度や尺度から見れば全く違った見方もありうる。長い歴史の中では、人の一生や数年の出来事などほんの一瞬に過ぎない。口伝か書物かで、その巫女の悲しい話があったことを天井画を描くことで後世に伝えようとしたひとびとがいた。
占いもそうだが、伝承されてきたと思われるオカルトも神話もかつては境界なく同じもので、昔は数少ないエンターテイメントだったのかもしれません。
主人公 帆高の純粋で真っ直ぐな気持ちは、すぐに損得勘定をしがちで世俗にまみれた大人にはないもので、さらに人を好きな気持ち(おそらく初恋)は、誰がなんと言おうと曲げられるものではなく貫き通すものであり、かつて家出同然に東京へ出てきて駆け落ちに近い結婚をした須賀も以前は同じ気持ちを他人よりもずっと強く持っていたはず。だからこそ、かつての自分に似た帆高を無条件に受け入れ気にかけた。
積乱雲の中、空の向こう(ただし宇宙ではない)はまだ研究が進んでおらずわかっていることが少なく、人智を超えた何かがありそうで、想像もしない思いもよらない世界が広がっていたとしても不思議ではない。
ただ、突っ込みどころも多々ありました。所詮、つくりものなのですけども。
田舎(離島)の高校生がそれほどネットやスマホを使いこなすのか?
廃ビルの屋上にある鳥居、精霊馬は誰かが手入れしていたのか?(それとも時空の歪み?)
小学生男女がカフェだ食べログだというのはいくらなんでも現実離れし過ぎで、都会の子を知らない帆高が受ける衝撃を表現するにしても、のちに身代わりで入れ替わる布石にしても、その小学生が母子3人で質素なアパート暮らしをしていたこととはかけ離れており矛盾。
「なんとなく息苦しくて家出した」以外に家出の理由が語られず、回想シーンもなくその両親も出てこない。中学生なんてそんなものかもしれないが。
上記の突っ込みどころが多く気になってしまったことと、作中の人物の中に入りこめなかったことで、期待していた分拍子抜けしてしまったというのが正直なところです。
「君の名は。」は今でも何度も見返していますが、「天気の子」は私個人的にはもういいかな、と思ってしまいました。
ただ、一緒に観に行った息子は「またみたい」と言っていましたし、夏休み娯楽作としては良い映画だと思います。