ほんのひとさじ

ゆるゆる過ごす日々と投資の記録

普通二輪教習 所感

教習初回のスタンド以降は詳細を記録していない。

思い出せる範囲で所感を。

 

1段階では、クラッチを操作して走行する、曲がりたい方向を見て曲がることを重点的にやった。
曲がり方がわからず、また恐る恐る運転しているためか、よく担当以外の教官からも「脇(が開いている)!」と指摘された。
「曲がるときには曲がりたい方向へ視線を向けて」と言われたものの、その意味がよくわからず、8の字走行が全くできなかった。
8の字で、教官が視線を向けるべきところに立ってくれて、そちらを見ながら曲がることを身体で覚えて、と特訓を受けた。
転倒はしないものの、とてもゆっくりと走っていたため、同じコース走行をしているペアのもう1人の教習生に追いつかれることもあった。
1段階のAT教習。ATには “半クラッチ” がない。アクセルの開け閉めと後輪ブレーキのみでの操作(前輪ブレーキは転倒するので使わない)だが、調節が難しく、なんとか通り抜けられたS字と異なり、より角度のきついクランクでは転倒した。これがトラウマとなり、2段階半ばまでクランク恐怖症となった。
AT教習で最も面白かったことは、教官が「AT車の唯一いいところは…これです!」と言って座面を開けたこと。確かに結構な荷物を最初から放り込めるスペース(物入れ)があるのは便利かも。

1段階みきわめはでは、通常「教官1人、教習生2人」で行うところ、教習開始直前に調整し、マンツーマンで指導された。
このときに初めて坂道発進をやり、スラロームを特訓し、おそらくおまけでみきわめをもらったのだと思う。

ほかにも、マンツーマンで指導されたことがあった。
ある意味「教え甲斐のある教習生」だった可能性がある。
また、普通二輪教習のときはほとんど託児室を使わず、待合室などで年長の息子を待たせていたこともあり、追加教習がないように配慮してもらっていたのかもしれない。

教習本には車体を傾ける ”バンク” の記載があったが、2段階の半ばでも相変わらず行きたい方向を見て曲がっていた。
なぜなら、そうすると曲がるから。

2段階半ばになっても、2種類あって覚えなければならない教習コースをどの順番で走行するかきちんと覚えられなかった。
大きな違いはほとんどないにも関わらず、だ。
記憶力の衰えもあるが、コース走行どころか、基本的な操作で頭の中がいっぱいいっぱいで、気持ちの余裕はまったくなかった。

2段階終わり頃には、脇の甘さ(開いている)を指摘されることがなくなった。
少しずつスピードに慣れ、ほんの少しでも操作に余裕ができたからと思われる。

2段階でも、課題走行と言われるスラロームはおそるおそる通っていたし、狭路走行(一本橋)は最後まで落ちずに渡れることがほとんどなかった。
よく「呼吸して!」と言われたので、息を止めて一本橋を渡っていたのだと思う。

卒業検定が近づくにつれ、とにかく早く免許取得(更新)をして R25 Movistar に乗りたいというご褒美のため、教習を検定だと思って走行した。卒業検定では「普段の教習」だと思うようにした。
とにかく、検定中止とならなければ良い。満点でなく、減点があっても合格点(70点)を満たせば良い。その気持ちで臨んだ。

卒業検定では、乗車時にミラー合わせを忘れるという失態をおかした。
やはり懸念のスラロームの規定秒数(8秒)に足りず、どうもここで多く減点があり「ギリギリで危なかった」と言われたが、合格した。

結局、最後まで ”バンク” はわからずじまいだった。