ほんのひとさじ

日々の雑記

○○しない方が良い、○○するなと言われてもどうしたら良いかわからない

「怒らないほうが良い」「すぐに怒るな」と言われることはあるが、それが具体的にどうすればできるかまで言われることはない。

こども(幼児)に「走るな」と言ってもきょとんとした顔をするのは、否定ではなくどうすればよいかの指示をしないからだそうだ。
「走らない」ことが「止まる」なのか「歩く」なのか、その場に相応しい行動を親や周囲の大人が教えることで、社会のルールを学んでゆくそうだ。
言うことを聞かないと嘆く前に、その場ではどうして欲しいか、どうしたら良いかを具体的に伝えると、こどもはすんなり従うことが多い。

ひとは、学校などで社会に入り、友だちとのやりとりなどで他者との関係を学んで構築してゆくのだろう。

そこで「怒らない」だが、以前この本をすすめられて読んだ。
(本自体は非常に読みやすく実践的な内容を含むと思う)
 怒らないこと / アルボムッレ スマナサーラ(著)

怒らない方法のひとつに「怒ろうとしている自分を外から観察する」とある。
確かにそれで怒りをおさえるのに成功したこともある。

それを忘れたわけではないが、一瞬で怒ることがよくある。

私以外の他人から見れば些細なことで何故そんなに怒るのかと思うだろう。
それはそうだ。私以外のほとんどの人はそんな些細なことでは怒らないから。

おそらく私はそのときに怒る以外の方法を知らない。
怒るのではなく別の対処法があるだろうがそれを知らない。そしてわからない。

こどもの言い訳と言われても仕方がないが、わからないからできない。
それが得せずに損するだけだろうが、このときの私は損得勘定で判断をしていない。
訓練すればできるようになるかもしれない。

この文を読んだ方の中には「いい歳をした大人が訓練だって?」と思うこともあるだろう。
それはあなたがこれまで生きてきた中でさほど意識することなく自然に身につけ、身についているからだ。
そのことがわからない人に「どうしたらできるか」をあなたは相手にわかるよう説明できるだろうか。そして相手が身につくまでの行動を教えられるだろうか。(教えろ、とまでは言わない)

こどもにも療育があるように大人にも必要なのではないかと思う。
極端な例だが、そうした「ひととして生きていくルール」をうまく身につけられずに大人になったひとが親も周囲の大人も手に負えなくなり、中には事件を起こして "犯人" になってしまうのではないだろうか。 

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子育て、夫婦、家族関係を一歩間違えると、こどもがこうなってしまう可能性があるという少し怖いノンフィクションだ。